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長い間、ありがとうございました!
お知らせです!

ご無沙汰いたしております!
昨年12月に再開予定だった私の「ネイティブアメリカン研究奮闘記」でしたが、
諸事情により若干遅くなりまして、
年明けより再開させていただきます。

再開に際しまして、
下記の「ネイティブアメリカン研究奮闘記Part II 」にサイトを移動いたします。

更新していなかったのに、
ブログをのぞいていただいた皆様、遅くなってしまってごめんなさい!

今後ともよろしくお願いいたします。


サイトがこちらに移ります↓

ネイティブアメリカン研究奮闘記 Part II


                             Qoo








先日9月12日、無事にPh.Dを取得することができ、
ついにカリフォルニア大学デイビス校での研究を終えることとなりました。
よって、もはや「at Davis」の学生ではいられなくなりましたので
2005年の12月より、3年9ヶ月にわたり続けてきました
「ネイティブアメリカン研究奮闘記at UCDavis」も、
今回の投稿をもちまして、終了させていただきます。

私の勝手な更新頻度と、気ままな日記内容にもかかわらず、
「ネイティブアメリカン研究奮闘記at Davis」にアクセスいただきまして、
本当にありがとうございます。

私自身、皆様からのメッセージやコメントによって励まされ、
また多く事を勉強させていただきました。
心より、感謝いたしております。

勿論、今後も様々な場面で皆様にお会いする機会もあるかと思いますが、
そのときは、またブログ、研究に関する辛口コメントをお聞かせください。
ひとまず、「at Davis」のこのブログは終了いたしますが、
少々充電期間(?)をとりまして、
年内にはまた新たな「奮闘記!」を再開させたいと考えています!
ネイティブ・アメリカン研究での奮闘は、まだまだ続きそうですから!!

そのときは、このサイトでお知らせをさせていただきます。

「ネイティブアメリカン研究奮闘記at Davis」に関する
ご意見、お問い合わせは、

野口 久美子
kumikonoguchi4@gmail.comまでお願いいたします。

それでは、皆様、またお会いするときまで、
お元気でお過ごしくださいませ。
# by qoo-at-davis | 2009-09-15 00:55 | お知らせ!
お知らせ
今週末、9月19日(土)に、
名古屋大学で開かれる「アメリカ史学会年次大会」の、
自由論題報告セッションAにて報告をさせていただきます。

報告題目
「同化政策期における部族社会とネイティブ・アメリカン・リーダーシップ:
 カリフォルニア州ヨクートを事例として」

学会会員の方、あちらでお会いできるのを楽しみにいたしております。
また、近くにいて、お時間のある方は、是非足をお運びいただき、
私の研究に関する厳しいご意見をお聞かせいただければ幸いでございます!

☆☆☆☆☆☆☆☆

学会はさておき・・・

学会の後に、
うちの相方さんと食べる予定の「味噌煮込みうどん」が楽しみです。
# by qoo-at-davis | 2009-09-14 01:02 | お知らせ!
博士論文、受け取ってもらいました!
ここのところは、連日、一日に何度も、
アメリカ⇔日本のメール。
日本でいうところの博士論文、Dissertationの最終提出(9月4日)に向けて、
指導教授と細かいやり取りをしていたというところです。

いやはや、Dissertationの提出って最後が面倒です。

紙の種類とか、Copy Rightの契約書とか、
ProQuestのOpen Access かTraditional Accessか・・・で悩み(笑)、
最後の一日で「Acknowledgment」を書き上げクラム先生へ送信!!

9月3日、アメリカ時間の深夜にもらった最後のメールで、
「OK! You've Done!Congratulations! Dr. Noguchi!」

と、クラム先生からのメッセージ。

最初、「。。。??」

何を言っているのか分かりませんでしたが、

「あ、終わったんだ。」と思って気が抜けました。

あとは、日本にいる私のために、
クラム先生がコピーをして、大学のGraduate Studiesへ提出してくれるそうです。

それにしても・・・・
こういう気持ちなんですね。
「提出」というのは・・・・笑。

「子供が手から離れる感じ」だとは、よく言ったものです。

次の日・・・・

「何もすることがない・・・・」
というか、

「論文を修正しなくていい状況に慣れていない・・・・」と私。

提出の送信キーを押したら、

どんなにか「楽園」が訪れるのだろうと、
夢にまでみていた一瞬でしたが、

実際に「その時」になってみると、
なんだか疲れがどっとやってきて、しばらく「ぼ~」としていました。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

というわけで、
その間、何故か思い立ち(?)、
ふらふらと、パシフィコ横浜で開催されている
「海のエジプト展」へ行ってみました!!!

これ、かなりすごい催しものです!
横浜開港150周年記念イベントの一環で、

「海底に沈んだアレキサンドリアの至宝、永き眠りから目覚める!」

というキャッチフレーズ。



目論見通り、
海底から発掘された「アレキサンドリアの遺跡」を見ているうちに、
興奮して、何もかも忘れ始めました。

ご存知の通り、
「桜木町」駅から、動く歩道を進み、
ランドマークタワーを通り、永遠とも思える長い道を歩いて、
やっと「パシフィコ横浜」に着く、
という試練がありますが、

それを克服すれば、

この「海のエジプト展」が待っています。

9月23日まで開催されていますが、
夏休みも終わった今、
ちびっ子たちはまんまと学校が始まっているので
大人な私達がゆっくり観るのにはもってこいの時期です。

それにしても、
アレサンドレアの宝が、
「海底に沈んでいた」なんて!!!
# by qoo-at-davis | 2009-09-05 23:36 | インディアン研究
『インディアンは笑う』
今日もまた、素敵な本をご紹介させていただきます。

厳しい現実を目のあたりにしているすべての人に本書を捧げる」

との解説から始まるのは、

北山耕平編『インディアンは笑う』
(Marble Books,2007)。



私自信、ここ数週間色々と「厳しい現実」を目の辺りにしていたので
本当にお世話になった愛読書でありました!

この本は、インディアンによって語られるユーモアで、時には辛辣な「ジョーク」が、
北山氏のナレーションとともに納められれている、ユニークな本。

氏がその解説で・・・

ネイティブ・アメリカンは、彼らが経験してきた厳しい歴史にもかかわらず、
実によく笑う人々です、

との内容を書いていますが、

『インディアンは笑う』を読んでいると、
私自信が、今までに保留地で体験した「笑いの時間」、
インディアンたちの顔が走馬灯のようによみがえりました。

このブログに何度も登場する、私の指導教官のクラム先生もその一人。
クラム先生のジョーク(しばしば厳しい試練も「単なる出来事にすぎないよ!」と笑い飛ばすことを教えてくれた)で、私のデイビス時代が「生きやすい」時間となった事は間違いない!

「くだらないことを言ってはみんなで腹を抱えて笑いあう。それも何度も何度も」

北山氏の解説にあったこの文章。

そこから私が特に思い出すのは、
(『インディアンは笑う』よりも、もうちょっと家庭的な「笑い」かもしれませんが)

家族の夕食の笑い。

特に、スウェットロッジの後の、家族の夕食。
汗で体全身がぬれ、皆、疲労の極限なのに、
その後、豊富なフルーツや、豆の煮込み、
サンドイッチやとっておきのピクルスを囲んだ夕食のときには、
久しぶりに集まった家族や親戚のメンバーが、笑う笑う。

従兄弟のお腹が昨年よりも10センチ大きくなったといっては、笑い、
孫のスウェットロッジデビューを揶揄しては笑い、

要は、お互いを一々「からかって」
「笑いのネタにして」「腹をかかえて笑って」

当の本人は、「ぷ~」と膨れ面を見せますが、
それによって、「お前のことを気にしているよ!」と、
家族全員で確認しあっているような、
そんな暖かさを感じるんです。

スウェットロッジの夜は、
家族全員が「からかい」の対象にされちゃうような時間なんですよね

そんな彼らの中に座り、私自身、楽しかったな~。

何か「辛いことを忘れさせてくれる」という、ちょっとネガティブな笑いというより、

「な~んだ、笑ってみたら、楽しいじゃん!」
って、視野がぱ~と広がる感じ。

人が集まる。よく笑う。
インディアンの家族に絆は、「笑い」の中に強まっていくのですね。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

喧嘩したり、傷ついたり、悲しんだり、
なんだか先の見えない毎日だったり・・・・

そんな時間の中でも、

夕飯を共にするパートナーや家族とは、
とりあえず何でも「笑い」に変えて過ごしていけるのって・・・・

とてつもなくすばらしい人生だと思います。
# by qoo-at-davis | 2009-09-02 23:03 | インディアン研究
解釈の違い
明日は、「衆議院議員総選挙」の投票日。
この分では、雨になりそう・・・

私は、早々と不在者投票を済ませてしまいましたが、
はてさて、今後日本がどう変わるのか、変わらないのか、
楽しみですね。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

もうすぐ8月も終わり。
みなさん、今年の夏も楽しみましたか?

ここのところ、「歴史学」の意味とか、役割とか、
真剣に考えてみたりする投稿がつづきましたが・・・・

今日、「日本人」の私が「歴史学的」に書いたある投稿論文、

カリフォルニアのゴールドラッシュの時期のヨクート族の
社会、生活、政治などをまとめたものですが・・

とある、「ネイティブ・アメリカンの先生(政治学)」に読んでもらったら、
メールの返事で沢山直されました

最近日本にいたから、感覚が鈍ったかな~?


私と先生の、こういう感覚の差ってほんと面白い。
なんてことはない、

この「差」が、歴史記述の本質的な問題を生んでいるのだと思います。

例えば、

白人の先住民への攻撃について

「Accidently attacked」と書けば、「Indiscriminately attacked」と直され、

ヨクートの死者数に関して
「was dead」と書けば、「was murdered」と直され・・・・

特に、accuseをする意味で書いたのではないのですが、
インディアンの馬泥棒の件数を挙げた箇所では、

「Seems justified since white were doing same things to Indians」
(白人も同様のことをしているのだから、正当化されて記されるべきである)

と書かれ、

同化政策に対する解釈で、先生は、

「This policy falls within the definition of GENOCIDE」
 同化政策とは完全なる「虐殺(GENOCIDE」


と言い切りました。

私、英語の誤字、脱字を直されることも多かったのですが
(日本語の論文と同様に・・・苦笑)
それよりも、こうした「解釈の違い」を指摘されることが、格別多かった。

ここからは、ちょっとマニヤックな感覚になりますが・・・・

新しい歴史解釈にめぐり合うことほど、
そして、それを当の歴史の登場人物たちから指摘されることほど、

エキサイティングなことはないですよ!!

本能寺にある「信長の秘密の抜け穴」の秘話を、当の信長本人から聞けたら、
私、もはや、仏門に入ってもいいと思いますモン。

アメリカの人を指して、
「American(アメリカ人)」なんて言葉は使わないでもらいたい!
せめて「Anglo-American」と言ってくれないか?
本当の「アメリカ人」は、我々(Indian)なのだから。


随分前、うちの教授から聞いたこんな解釈から始まって、

「新鮮な解釈」には事欠かないのが、
ネイティブ・アメリカン研究なのです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

私は、どちらかといえば、冷静に書いたつもりですが、

彼らにとって、歴史に「冷静」である必要はない気がします。

「こちら側」か、「あちら側」か、「どちらかにしなさい!」といった、
立場表明が、求められるのでしょうね。特に、本場アメリカでは。

「インディアン史」を書くことは、
事なかれ主義の日本人の私にとっては、
なかなか難しい局面です。
# by qoo-at-davis | 2009-08-29 22:14 | インディアン研究
お台場で観たガンダム
日々、お部屋の中に閉じこもっている私が、
「学校は夏休みなんだな~」と感じたのが、
お台場でみる人だかり。

お台場で例年開催されるイベント「お台場合衆国」には、
「世の中には、こんなにちびっ子たちがいるのねー」と思うほど、
ファミリーで混雑しています。

今年のメインイベントの一つ、みなさんはご存知でしょうか?

お台場を歩いていると、「ガンダム行った?」という会話がよく聞かれますが、

そう、今、お台場には「等身大のガンダム」が出現しています。

先日、怖いもの観たさで、
仕事の帰りに相方さんととぼとぼ歩いて見てきました。

日中のガンダムはこんな感じらしいのですが。


夜のガンダムは、こんな存在感。


夜のガンダムの後姿。
人の後姿は、その人を語りますからね・・・


確実に地球を救ってくれそうな、大きさです。

本物のガンダムを見て、私も、微妙にワクワクしたので、
絶対、ちびっこたちは、興奮マックスだと思います。
# by qoo-at-davis | 2009-08-20 13:38 | 雑記
北九州 大宰府天満宮
残暑お見舞い申し上げます。

お盆休みも、何かと気ぜわしく、ゆっくり夏休み~!とはいかなかったのですが、
ちょっと前、
急にお休みがとれた相方さんに連れていってもらい、
ちょっと強行日程で大分「湯布院」へ!

↓こちらは、帰りがけに寄ってもらった北九州の「大宰府天満宮」。

錦糸町の「亀戸天神」に引き続き、
「菅原道真公」を祭った神社にはお参りをせねば・・・・



手に持ってご満悦なのは、大宰府参拝時の名物「梅が枝餅」。


ご利益なことが一つありました。
どうやら、私たちは、「阿修羅様」と一緒に、東京から南下したようです。

これも春先に上野の国立博物館で観た「阿修羅展」が巡回して、
九州国立博物館にいらっしゃっていました。

「阿修羅像」見ごたえありますよ!!
九州でもう一度観てしまいました。
http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s16.html
# by qoo-at-davis | 2009-08-19 21:27 | 雑記
-歴史観をめぐる往復書簡-
ちょうど、先週、

「杉並区教育委員会が扶桑社版教科書を再び採択」

というニュースが取り上げられていたところなので・・・

歴史認識の話題。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

「歴史学」に関して、私が先日書いた、

「歴史とは、勝者の歴史である」

という理解について、

とある地方議員の先生に、こう諭されました。



歴史とは・・・

『事実を深く探究する史料を多く集めて、己の解釈で歴史観を創造する学問』

・・・であれば良いわけで、大切なことは”己の価値観”なのです。
”支配する者”と”支配される者”の歴史観が同じ訳ないし。
戦争だって、撃つ人間と、撃たれる人間の感情が同じ訳ないっしょ。
どうも、世の歴史学者は『共通の歴史観』の探究に忙しいようですが。


まあ、途中の「歴史は多様である」という理解は、
私の意見と全く重複していますが、

最後の「歴史学者は『共通の歴史観』の探求に忙しい」

という批判がいけない。l


「あなた!!な~にを今更、そんなことをいっているの~!!!!」

という気持ちです。

一言、言いたい。 いや書きたい。

(私、小心者で、目の前にすると
「ま~そういうこともあるよねー」と言ってしまいそうなので。


「歴史学者は『共通の歴史観』の探求に忙しい」

のは、歴史家が「歴史認識をの支配したいから」、なのではなくて、

それが、歴史家なりの「レジスタンス」だからではないでしょうか?

なぜなら、歴史と国家と、国民とはこういう関係だからです。

例えば、国家史における『共通の歴史観』とは、
まさに「国家の創造」にかかわります。

アメリカやカナダなどのように例えば多民族国家では、
「共通の国の歴史」こそが、国の基礎となるわけです。
ロシア、中国、現在の東欧諸国のように、
共通の「歴史観」を持てないからこそ、内戦や、分裂する国家ができるのでしょう。

また、世の中には、全く、全く、全くことなる歴史観を持つ人々であふれてる、

極論になるかもしれませんが、
アメリカでは、先住民は、独自の「歴史観」を持っている。

この世は、
彼らのいうところの、「4つの世界」のうち4番目の「時代」であり、
(ちなみに、他の三つの世界は「前人間世界」)
蛇、コヨーテ、馬、牛、熊がこの世界に降りてきて・・・・

なんて「歴史」、おばあちゃんから、孫へと引き継がれて、
「個人的な歴史」を自由に持っていることで、ハッピーなのかもしれません。

しかし、考えたことありますか?

先住民が、「本当に」上の歴史観を信じていて、

「この世の中」が、彼らの価値観とは、まったく別の世の中で、
「産業革命」、「独立戦争」、「じゃがいも飢饉」・・・・
そんなこととは、まったくかけ離れた
歴史、世界観、精神世界を持っているとしたら・・・

そして、子供達は、
そんな自分達とはまったく無縁の「共通の歴史」を、公立学校で教えられる。
これは、両親からしてみれば、
大変な苦痛のはず。

一方のアメリカの教科書は、
先住民の歴史に、たった一ページでさえ、さくことはないのです。

アメリカを例にとれば、
「アメリカ史の共通の歴史」の中には、

先住民の歴史、黒人の歴史、アジア人の歴史、またそれ以上に細分化された歴史観が、
まったく語られないまま、
抑圧されたフラストレーションの中で存在するわけです。

でも、それでも、そのフラストレーションが爆発しないのは、

それだけ、アメリカの「国家を維持しようとする」力も、強いということです。

「国家」という生き物は恐い。
「民族」という集団と同じくらい、生命力にあふれている。


だから、ある種の「歴史家」にできることは、
とくに、マイノリティーの歴史記述に携わる者は、

ただ、「多様な歴史」を並べて、「個人の歴史でいいんじゃないですか~?」

とすることではなくて、

そこから、「共通の歴史」を少しでも豊かで、多様性にみちたものにできるように、
還元していくことではないかと、思うわけです。


「公立学校」に自らの子供、孫を送り、
子供達は「アメリカの教科書」から、自らの民族の歴史を知ることになる、

そんな今の世代の子供達を見守る
多くの先住民社会にとって、

歴史家の、こうした「共通の歴史」へのアプローチは、
死活問題になるのではないかと思うのです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

反対に、

少なくとも、「共通の日本史」を共有できる日本人だからこそ、
(歴史教科書問題などはありますがあれは、
 少なくともまだ国内の内戦に発展はしていないので)

「共通の歴史観」なんていらないんじゃないの?

といえるのです。


確かに、「共通の歴史観」(国家の根源)は、
人間関係を、歴史をすごく複雑にしてしまっている。
でも、今の私達が特定の政治的枠組みで生活している以上、

その歴史認識を、少しでもフレッシュなものにする努力が、
「歴史家の共通史へのアプローチ」なのではないか、と思うのです。
# by qoo-at-davis | 2009-08-17 06:45 | インディアン研究
英語の勉強
雨の合間の晴れの日は、
ジョギングには、
この上なく気持ちがいいので結構ですが、

それにしてもよく雨が続きますね・・・・

先週は、実家のあたりでは、夏祭りがいくつか開催されました。

が、

私ちょうど、忙しくて、ほとんどお部屋にこもりきり・・・

それでも、地元近辺の花火大会を、
お散歩がてら、両親とぷらぷらしてきました。



これ、うまく撮れなかったのですが、
太平洋の海に映る、「仕掛け花火」です。一興でしょ~
海の湊のドッグ沿いに、出店が並び、
潮風の吹く、真っ黒な空に、ど~んと、花火が上がります。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

最近、引っ張り出した、昔の本。
「留学生」ならば、誰しも覚えがあると思いますが、

英語の「Academic Writing」というのは、奥が深い。
アメリカの英語の授業でも使用されているものです。
お薦めの一冊。



実は、後期に、
大学で「アカデミック・ライティング」を教えることになっています。

こんな私がライティングを教えていいのか甚だ疑問ですが、
慌てて、「復習?」しています。
# by qoo-at-davis | 2009-08-12 07:51 | インディアン研究
Alfred Taiaiakeの理屈
台風きていますね

私は今日、台風の嵐と嵐の合間の中休み、
ほんの少し日がさした合間に、ジョギングをしましたよ!

湿度90パーセント(!)って感じ、
すごく汗がでて、
暗い空にグレーの雲はすごいスピードで流れていて、
人っ子一人いない・・・・

なんだか、ワクワクしました。笑。

それにしても、
また再び嵐がやってくる前に見た今日の夕日はきれいだったな~。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

最近は、もういっぱいいっぱいで、
あまり頭が働いていないから・・・・

あ~。なんだか、ブログにも、
プロダクティブにいろんなこと書いていたDavis時代、
よく頭が働いたな~。笑。

あの頃は、とにかく「足」を使って色々調べていたから。
「論文を書く」ことなんてしなくてよかった(笑)

他の方のことはよく分かりませんが、
私、「論文」を書くことが大嫌いで下手、という、

この世界では「致命的欠陥」を負っていて、

不器用なので、「書く」作業をしていると、
もう他のことは何にも考えられなくなります。

は~。
研究報告も、デジタルで音声になればいいのに・・・

ちなみに、私、

自分の「声」には、ちょっと自信があります。(笑)

「ブログ」でしか、私を知らない皆さん・・・

声が聞きたくなったでしょ~

聞かない方が得策です。
聞いたら最後、眠れなくなりますよ~


ということで・・・・

読者の皆さんを口説いていても仕方ないので・・・

今日は久しぶりに本の紹介でもしたいと思います。

日本ではあまり読まれていないようだけれど、

Alfred Taiaiake、
Peace Power Rightousness :An Indigenous Manifest
(Oxford University Press, 1999)



(ちなみに、本をこんな風に開いて置いてはいけません。
 昔、恩師の鵜月先生に、「本が傷む!!」と、よく怒られました。
 でも、癖が抜けない・・・・私の本はすべて傷んでいます。)


このAlfred Taiaiake先生。
先住民研究会の「西尾寛治」みたいなイメージ(???)・・・・
あくまで個人的な意見ですが。

この本が出てからもう10年が経つんだ~。早いなー。

10年前は、まだ22歳です。信じられない。

とにかく・・・

常に、時代の先を読んでいる人って、
結局は、「現状に満足しない人」なのではないでしょうか。
ネイティブ・アメリカンの歴史家、Alfredはそういう人かもしれません。


先住民社会では、
もう30年くらい前から「Sovereignty」という言葉が叫ばれています。
意味は「自治」。

要は、

もう、連邦政府にとやかくいわれることなく、
部族(でも、グループでも、村でもケースバイケースですが)で
好きなことを、好きなように決めて、「自分達らしく」生きていこうよ!

ということですね。
そのために、

先住民社会では、

独自の政府(行政制度)、司法制度や、教育システムを整えてきました。

「もうほっといて!好きにやらせてくれ~!」

という先住民からの叫びが成就した形が、「Sovereigntyの獲得」なのです。

それに対し、
連邦政府が「ハイ、分かりました」といいました。

ただ、彼らが出した条件が、ひとつあります。
それは、

「アメリカ合衆国憲法」に触れない範囲でということ。

「あ、そうですか。」という感じで、

ネイティブ・アメリカンは大喜び。

「Sovereignty」という言葉は、

あたかも「水戸黄門」の「印籠」のように、
出せば必ず「正しい」と思わせる力のある、
ネイティブ・アメリカンの「理想の社会」への鍵だったわけです。


しかし、

なぜ、
「格さんが懐から出すあの印籠に、それほどの説得力を見出せるのか・・・」

という疑問がわくのと同様、

「我々が目指すSoveringnty」とはそんなにすごいことなのか・・・

と、疑問視したネイティブ・アメリカンの知識人がいました。

一人は、確実に、先住民の政治学者、故Vine Deloriaでしょう。

また一人はTaiaiake Alfredかも。今日紹介した本の作者です。

彼らは気づきました。

「アメリカ合衆国憲法に触れない範囲での自由」

という言葉がクセモノだと。

これは結局「何も自由でない」ということと同意なのです。

アメリカは、他の国の自治にさえ、平気で介入する国です。
自国の領土内でおこるマイノリティーの自治など、
完全に認めるわけありません。

そこで彼らは唖然とするのです。

自分達が「Sovereigty」と思っていた自治が、
結局は、アメリカ合衆国の意思の中で、
コントロールされているものでしかない、ということを。

このPeace Power Righteousness
は、彼らが考える「Soverigty」、理想と現実。

「神話」や「語り」という
「ネイティブの社会内」に向けたメッセージではなく、

ネイティブ・アメリカンが、「外、我々」に発する、
学問的な「西洋社会」と「西洋式自治」のネイティブ的分析。

読んでると、ワクワクしてきます。

私がこの本から学ぶ、とても大切なことは、

「全く違う価値観で構成されれる社会」の理屈。

私は、
私達がただ「常識」だと思っていることに、
頭が犯されそうになるとき、
(ちなみに、私は、生きていくうえで、それが一番恐い)


何度でも読み返す、私の愛読書の一つです。


たしかに、ちょっと理屈っぽい本ですが。
下手な「国民国家論」より面白い。
# by qoo-at-davis | 2009-08-10 23:27 | インディアン研究
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